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s-k-dream_plot010.JPG当物語のバトルフィールド「信濃国」です。
物語を読む上で、結構重要なベースになりますので、是非ご一見ください!

2008年05月10日

品第573:龍治登場(第12章6節「和睦成立」5)

 十一月二十八日、駿河富士郡の吉原湊。秋津の三本マストの貿易船は、一回り大きな新型に変えられた。名前は未来丸。その大きさに吉原湊で働くもの全てが驚き、野次馬も見物に現れた。
 湊の向こうの、少し小高い場所にある吉原城は、関東情勢の不安から増築されてるが、そこの工事の者達も手を休めて、こちらを見物するほどである。
 龍治を連れた秋津だが、龍治の従者の僧達が、この船上にも二十人近くいるし、更に港に出迎えた龍治の僧と弟子は八十人もいた。それに人目彼女に会いたいという坊主も出迎えていたので、吉原湊は、坊主一色みたいなちょっと異様な状態になった。
「つがいさん、すごい有名だね!」
 秋津は龍治の名声の凄さに、改めて驚かされた。ちなみに『つがい』とは、龍治の本名である。
「いえいえ、それ程でも…。」
 龍治はただ苦笑いである。
「つがいさんは善得寺に泊まる事になってるけど、大丈夫かな…。」
「建乗和尚には、感謝せねばね。」
「明日には富士川を上りたいけど…。」
「あの方たちの面会は、駄目ですか。」
「出来れば、やめて欲しいです。」
「でも、一緒に瀬沢に来てくれるのならば。」
「まあ、それならいいのですが。」
 それだけの、治水の評判の高い者が女性であるのは以外かもしれないが、なにせ京都や西国の高僧が、彼女の能力を絶賛してる。特に策彦周良が「治水の件に関しては、かの弘法大師(空海)の再来に等しい」とまで賛辞した事があってからは、たとえ女性だからと蔑視する者は消えたのだ。
 
 二十九日、善得寺を出発した龍治一行は、この大人数、船で甲斐へ向かうのを止めて、歩いて甲府へ向かう事になった。
 その旨は、早馬を使って甲府の勘助に知らされた。
「こりゃ大所帯じゃ!大泉寺だけでは足りないぞ!」
 勘助と楓は、急いで他の寺院にも宿泊場所として急ぎ整えた。
 それだけの大物とあって、甲府の町では龍治の甲府入りは、誰も知らないまでの噂となり、それだけの高僧を待ち構えていた。
 そして諫早佐五郎も、この日に甲府の勘助屋敷に戻ってきた。
「どうしたのじゃ?」
 勘助は、佐五郎が来たのが以外であった。
「龍治様は、某の命の恩人ですから。」
「どういう事じゃ?」
「拙者が花蔵乱で、瀕死の重症だったのを助けてくれた恩人です。」
「恩人?」
 佐五郎と龍治の関係、勘助には謎だった。



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