奇襲は突発的な大雨の為、というより天竜川の増水で中止になった。
翌三日は皮肉なように晴れたが、天竜川はまだ渡れないから、民の生活には影響する。
高白斎は飯富隊を戻して、両軍は対峙作戦に出るしかなかった。これは荒神山砦も同じだが。
頼親は、城から天竜川の様子を確かめた。
「こりゃ数日は川越えは無理じゃな。」
早く権次郎のいる、荒神山砦に後詰に行きたい。でも砦は容易に落ちないはずだ。
とにかく心配には変わりない。長時の援軍は予想通りの遅さだ。来れば確実に武田を追い出せるが、今ここで何も出来ない自分にイライラする頼親であった。
荒神山と福与の両軍の対峙は、十日も続いた。十三日には信方が林城に訪問した事が、両軍に伝えられた。
和睦交渉に出たのだ。そして十五日、林城から小笠原長時の使者が、早馬で松島の高白斎の陣にやって来た。
「拙者は信濃守護小笠原長時の使者、神田将堅と申す。」
神田将堅といえば、小笠原家中でも指折りの弓の名人だ。その勇名は甲斐にも知れ渡っている。高白斎の周りにいる家臣達は、これが名高き神田将堅かと、始めてみる顔に名前とを頭の中で一致させた。
その空気を察知した勘助は、
(そんなに勇名なのか…。)
余所者だから、名前を知らないのも無理はない。ここで顔と名前を覚える。
高白斎は、交渉を続ける。
「拙者、駒井高白斎と申す。」
「十三日より、我が御館様と武田の使者板垣駿河殿の交渉により、第一段階として、この砦の破棄。第二にそなた達の部隊は、甲斐へ退却される事を合意させた。」
とその決意文書を、将堅は広げて高白斎に見せ、渡した。
高白斎は再度確かめて、長時と晴信の花押を確認した。
晴信の花押は、晴信が事前に白紙に名前と花押だけを書いて、全権を勤める信方に渡したものだ。合意文書は、その紙で林城において書かれるのである。
晴信の花押は、確かに本物だ。
「あい分かった。明日中にはこの地から引き上げる。」
「ならば、文書にしたため、某の配下を一人置いて、見届けさせるよう許可をされたし。」
「分かった。許可しよう。」
こうして将堅は、林城に馬を走らせた。
高白斎は、直ちに撤退の準備に入る。これで福与城からの追撃が無い事も、信濃守護長時が書状で頼親に命じたことで、迅速な退却が確約された。
しかし荒神山砦の交渉は、未だに難儀を重ねているようであった。
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2008年05月03日
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久良岐 満

