「奴隷が働く、劣悪な場所とは思えんくらい改善に改善を重ねたからな。」
勘助は、鉱山経営の理想を責任者である庄賢に訴え続けていた。それを庄賢は少しづつ受け入れて、今では農民生活するより条件が良いとまで言われ、日の本一環境整備された金山とまで噂されるようになった。
だから各地から人材が来るのである。
「鉱山なんて所、過酷すぎて普通なら誰も来たがらないのに。だから奴隷なんじゃが…。」
庄賢も既成概念を打ち破る、勘助のアイデアの豊富さに驚くだけであった。
「奴隷にするのは惜しいくらいだが、死ぬまでここで働かすのが勘助の刑じゃからな…。」
庄賢は、勘助の才能と与えられた現実の差に憂いてはいたが、仕方がない。
しかし、この富士金山運営の絶好調ぶりが、思わぬところで大問題を生んでしまう。
七月、ついに北条氏綱は大軍を率いて小田原を出陣し、深大寺城を一気になぎ払った。
これに扇谷朝定は、朝成が総大将になって狭山の三ノ木で待ち伏せるが、北条軍はこれを叩き潰し、朝成は生け捕られ、殺された。
これに朝定は、武蔵松山城へ引いた。
これで無人と化した河越城に、氏綱はこの大軍と共に威風堂々と入城した。
「これこそ難攻不落の良き城じゃ。」
河越城のような平地に近い小丘陵の平山城は、完全に守備側の都合に合わせた縄張が作れる上に、井戸が数十箇所も豊富にある。その守備条件の素晴らしさに感動する氏綱だ。
「戦わずして取れたのは、最高の戦果です。」
綱成も満足だった。
「綱成、この城には別の者を入れるが、お主は小田原から河越を援護して欲しい。敵の反抗戦が必ずあるから、ワシの傍にいても、もう西の情勢は気にするな。」
「ははっ、分かりました…。」
河越の城下町はことごとく焼かれた。あの名刹喜多院でさえも例外ではない。
扇谷家関連の寺院から歴代当主や扇谷血縁者の墓所まで、扇谷家関連の形ある物は、この時にことごとく破却されたのだ。
「我らを『他国の凶徒』と罵る以上、両上杉との戦いは、互いの存在意義を賭けた戦いなのじゃ。だから敵の存在ある物は全て消す!」
温厚と評判な氏綱とは思えない、毅然とした態度であった。氏康も父の後ろからこの政治態度に震え、しっかり頭に焼き付けた。
さらに攻撃の手を武蔵松山に向けた。その松山城主難波田隼人佐が、追われた朝定を城に入れるため城外に出て奮戦し、戦死した。
「くそう、くそう!」
朝定は優秀でもまだ若い。百戦錬磨な氏綱の戦術に成す術無く、松山城を難波田氏から自分の居城に転換出来たのがやっとだった。

久良岐 満

