ただ、逃げる軍勢が軽井沢に押し寄せた時、小山田(備中)勢と真田勢はさっさと峠の封鎖を解除して、下の志賀城の包囲に戻っていった。
この辺の理由として、幸綱はこう語る。
「袋のネズミにするのは良いが、あれではネズミが大きすぎる。一千も満たないワシ等じゃ、到底支えられんわい…。」
元々少数部隊、安全確保が最優先だ。
この二部隊の最大の意義は、峠を封鎖したという『事実情報』を発信させ、敵の混乱を助長させるためだけだ。
そういう意味では、大成功している。
これで敵の混乱を最大限に極めさせ、上州勢の軍勢としての能力を完全に削がされたからだ。
作戦の初歩中の初歩とは、退路の確保である。だから退路(帰り道)を塞ぐということは、家に帰してくれないという意味であり、軍勢の動揺を最悪化させるための、最も有効な手段である。
軍勢が帰ってこない。横田隊など、軽井沢まで来てしまったのだ。遅れて甘利隊の応援部隊も着てしまっている。
碓氷峠の入口は広いが、さすがに一万もの軍勢を一気に押し入れるだけの広さは、当然無い。
まさに弁に詰まった状況だ。
そんな報告が、勘助の山師から信方の本陣にもたらされていく。
「ええい、虎泰はどうした!三八は!高松は何してるのじゃ!」
後ろにいる小笠原定政は、何も言わない。それどころか、
(フン、所詮猿は猿か。野蛮な武田め…。)
心の中で裁いた。そして信方に語る。
「板垣殿、軍配を持つ以上、責任は取って貰いますぞ…!」
静かな口調だが、視線が非常に厳しかった。
信方は、ただ頷くしかなかった。
撤退命令を聞かないのは、大多数の雑兵達であって、多くの大将クラスの者ではない。
多少の侍大将は、一方的過ぎる状況に呑まれて、流れに乗ってしまっている。
苦悩は虎泰も三八も、高松も一緒だ。
高松と三八は怒りを抑えられない。
「もう夜じゃぞ、早く味方をここに戻せ!」
と叫ぶ。前線に出た諏訪衆の信里と昌俊は口論になっている。
「何故撤退じゃ、昌俊っ。もっと民に稼がせないと、来年は御柱年じゃぞ。資金がいる!」
「分かってますが、これは命令です!」
部下達が二人の口喧嘩を、必死に抑える程だ。
虎泰は頭を抱える。
「予期はしてたんだ。法度が出来ると税金を上げざるをえなくなる。そうなると増税分を払おうと、連中は躍起になる。それで行き過ぎて躍起どころか、狂ってしまう事を…!」
兎に角、集合・撤退命令を出し続けた。
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