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これは戦国武将小笠原長時が愛した「小笠原牡丹」です。
5月中旬が見ごろ!純白がとても綺麗な花です♪
16日にこれを写メしに、松本まで行きました。

2008年12月31日

品第987:後詰軍、軽井沢へ(21章1節「上州勢出陣」6)

 上原兵庫・金井景秀の援軍二万は三日に碓氷峠を登った。
 というより、ほとんど上原隊の抜け駆けに等しかった。
 兵庫は焦る。
「ええい、この軍勢の大将は、このワシじゃぞ!野蛮な金井なんぞに指揮などさせるものか!」
 と急いで峠を登らせた。後続の上原派の部隊も、釣られて急いで登る。
 金井派は後回しにされたのだ。
「こ、この野郎、いくさ知らずの文官の分際で…!」
 入山峠を使いたかったが、駄目だ。前回(天文十年七月)の佐久・小県遠征では憲政は碓氷峠を登った、遠征に成功させたのだ。
 依頼者だった海野氏からしたら、海野氏滅亡後の反撃なんて無意味だったが、管領家のみにとっては成功だったらしいが…。
 だから、そのゲンをかつがないといけないみたいだ。それが平井城に要る関東管領山内上杉憲政の方針だからだ。
 御館様の命令だから、無理でもそうしないと駄目だ。無論金文鉉の口車に乗せられた事だが…。
 だから入山峠を使えば、軍令違反となるそうなれば高田憲頼に申し分が立たない。
 景秀は、仕方なく上原派の後に碓氷峠を登らされるのである。
 二万もの大軍勢に、登る峠はこれ一本。もし出口の根間に敵が奇襲にでも来たら、たまったものではない。
 それにこれでは、軍勢の進軍速度が異常に落ちてしまうではないか。
 だから昼夜を通して、この碓氷峠を急いで登らないといけなかったのである。

 だから先に到着した上原派は、真夏の真昼の直射日光に日射病・熱射病で脱落するものが続出し、夕刻から夜にかけて軽井沢に着いたころには、へとへとだ。
 だから金井派は、深夜でも峠を登らないとならない始末となる。
 最後の兵が着いた時には、四日の朝になっていた。
 この時に、多くの兵士に二種類の体調異常が目立った。
 一つ目は、寒暖の差による夏風邪が流行った事。もう一つは、飲み水が利根川水系から千曲川水系の水に変化した事により、胃腸を壊したものが続出した事だ。
 全くもって、前回の遠征と全く同じミスを繰り返しているのだ。
 憲政の成功だけしか見えない前例主義の愚かな所である。それでも関係なく上原兵庫は、怒りに満ちている。
「身体を壊すなど知るものか。一人一殺、ただ進軍あるのみ!」
 と強引だ。従う近田真孔斎も、
「左様じゃ。風邪やら腹を下したやら、やる気あるのか!それは御館様に対する不義不忠愚民じゃ。そんな愚民など、天誅を与えてやる!」
 等と無責任丸出しだ。しかも到着したばかりの金井派の軍勢は、一睡もしてないから疲れている。休ませないと、軍団が機能しない。
 志賀城落城は阻止しないとならない、そのために急ぐのは分かるが、節度が無い。
 まさに死の行進だ。兵士たちに、無駄な体力ばかりが消費される。
 それをも完璧に無視して、上原・近田は進軍を強引に開始させたのだ。



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posted by 久良岐 満 at 18:59| Comment(0) | 第21章「小田井原合戦」(了) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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