それは真田幸綱が一番よく知っている。
大井貞隆も、大井貞清も、後詰を貰えなかったし、村上家は国境の危機に対しても、何もさせて貰えない。
本当に思い出すと、まともなことが無い。
香坂筑前の調略を成功させ、岩村田城で祝杯を挙げる勘助と幸綱。
幸綱が思い出すように嘆く。
「海野家は村上もそうじゃが、管領家に滅ぼされたような家じゃった…。」
勘助も同じだ。
「ワシだって、家禄が三奉行達の水増しの肥やしにされたのじゃ。腐った朱学の亡者共の巣窟じゃからな。ワシみたいなものは、顔が汚い、肌が黒いから腹が立つとか、障害持ちは気持ち悪いとか、苛められっぱなしじゃ…。」
「変に明国の中華主義に奔ってると、噂に聞いたぞ。」
「どっちかというと、李朝の小中華じゃな。金文鉉とかいう得体の知れない朝鮮人がいるから。」
「ふうん…。」
「上州は宗主国、従う者は全部奴隷国。村上でさえそう思ってる。そんな自分中心に世の中を回してるから、ろくな事がないのじゃ。」
「あの金先生が大先生だとは、信じられん。」
「秋津の話では、あれは李朝ではかなりの罪人みたいで、大内の儒者奉行相良武任の援助で、ここに逃げてきたのだそうな。」
「なるほど、大先生気取りか。」
「そういう事じゃな。」
「それより勘助、後詰は本当に碓氷峠一本で繰っていいのか?」
「ああ、構わないさ。じゃから、忍びの配置は碓氷峠に集中、それで頼むよ。」
「それはいいが、やはり普通なら…。」
「普通じゃないろ!」
「あ、ああ…。」
「一に前例二に前例、三四も前例五が前例。他に考えがないのか、って言いたくなるようなくらい、頭でっかちで口先ばかりが立派な脳無し連中だぞ。知ってるだろ。」
「分かってるが、不安だよな…。」
「向こうが自分の作戦を読まれてるなんて、これっぽっちも思ってないよ。河越の大決戦の時がまさにそうじゃっただろ。」
「相手を他国の凶徒と舐めきって、そればかりが先走りしてたみたいじゃからな。」
「そういう事じゃ。武田もいわば他国の凶徒、それに出奔者勘助を匿ってる罪人支援の国と罵るのじゃ。言わせておけばよいのじゃ。」
だから敵の後詰は、必ず碓氷峠一本でしか使わないと確信してる勘助だ。
他の重臣の間では、他の峠も使うのは常道と、後詰が来た際に三つの作戦を用意させていた。
その中でも、武田にとって最も都合の良い作戦が取れるのは、勘助の主張する「碓氷峠のみ」の場合の作戦である。
成功した前例の作戦にこだわる。分かりやすい例を例えるなら、太平洋戦争の南部戦線か。
織田信長の桶狭間合戦の大成功を真似て、雨が降ればまるで、何とかのひとつ覚えみたいに必ず『奇襲作戦』を取っていた日本軍。
アメリカ軍も当然そのパターンを見抜いてしまい、雨の時は警戒を強められてしまい、その度に日本軍は無駄な戦死者を出しまくり、非常に分かりやすい大敗北を重ねていた事があった。
勘助や幸綱たちが懸念、いや、期待している憲政政権な作戦の前例主義とは、このレベルと同じ事なのだ。
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