「左様じゃ。氏康が『税』で攻めるなら、ワシ『法』で攻めたい。その為には武田家は、優れた立法国家としての宣伝が必要じゃ!」
という考えである。
無論法律を定めた以上、国内向きのものである。しかし日本人は、戦国時代まで立法概念がまるで希薄だったのだ。
確かに法律は、古代から存在する。しかし、事あるごとに破り、無効にしてきたのだ。
そんな法律ばかりで信用出来ないから、自力救済が常識の世の中になったのである。
分国法の戦国時代でさえ、それが出せない国家の方が多いのだから。
兎に角耳と鼻を削がれた寺沢と赤口は、甲斐と武蔵国境の雁坂峠の麓で、数多の通行人の通る中で処刑され、野ざらしにされた。
そしてこれは道行く人の噂となり、秩父から上州に伝わるのも素早かったのである。
平井城では、お香の香りが妙にきつい本丸御殿で、管領上杉憲政が金文鉉に学問を教わってる。
文鉉の弟子が慌ててやって来て、文鉉に耳打ちした。
憲政は気にかける。
「どうしたのじゃ?」
「あっ、いいえ、なんでもありません。今日の講義はここまでにいたしましょう。」
と文鉉は慌てて退出する。
その時菅野大膳は、賄賂を貰った武士の無罪を言い渡し、村人の訴えを退けた最中にこの一件を聞かされ、上原兵庫はようやく病欠(仮病)から登城し、得意の帳簿改竄の最中に聞かされた。
三人は密室を用意して、話し合う。
「しかし、武田も愚かよのう。」
「法で国を治めるだとよ。」
「徳が無いから法にすがるとは、野蛮ぶりも極まれりじゃ。ブヒャハハハ!」
と、まるで危機感が無い。
「それより、あの高田の古狸じゃ。」
大膳が話題を変えた。憲政政権初期の中心人物だった高田憲頼が、河越決戦以降、松山城を取り返した太田資正のスポンサーになるなどして、息を吹き返したのだ。
今や三奉行を中心とする政権与党を動揺させるほどの、盛り返しである。
文鉉が恨みの形相満載に言い放つ。
「高田の不忠ゴミ倭人野郎に、美しくも偉大な御館様を奪われてたまるものか!」
三人は甲州法度について集まったにもかかわらず、二言目には派閥と保身に話題が変わる。
でも上原兵庫は少し考えが違っていた。
「あの、甲州法度…。」
と本題に戻そうとしても、二人に睨まれるだけだった。
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