元々雪斎の出したこの項目は、武田側を安心指せる為のエサに過ぎない。
しかし、残りの項目は譲れない。雪斎は信濃守護の歴史を語った。
南北朝では、南朝北朝だけではない第三の勢力もあった事、小笠原家の威光が失墜した大塔合戦、その後の苦悩と守護権回復の為の奔走、そんな南北朝や足利幕府と鎌倉公方の長年の対立、そこから『一国境目』と呼ばれ混乱を極めた信濃国だから、その鎮圧に最も熱心だったのがこの小笠原家である事を。
さらに信濃の平和だけでなく、甲斐国の混乱回復にも一役絡んだ事も雪斎は大きく主張する。
「上杉禅秀の乱の時に、一度滅んだ武田家を復活させたのは誰ですか。幕府もそうでしょうが、この小笠原家こそが、元は同じ一族と言って手を差し伸べたのは周知でしょう。」
「それは分かってますが、その為に守護代として小県から派遣された小笠原家臣の跡部氏は、甲斐守護代になるや、結局は専横して甲斐を困らせたではありませんか!」
「しかし、それを倒して武田信昌公は自力をつけました。復活させたのも小笠原、試練を与えたのも小笠原、そして自立させたのも小笠原になります。」
「それは屁理屈です!外交の問題を歴史問題にすり替えるのは、らしくないのではありませんか?」
「今の武田家がある限り、所詮は小笠原家の恩の上に立つ事には変わらないのです。その恩は今こそ報いるべきでしょう。」
これに小笠原家中が大絶賛し、武田家中は猛反発した。
しかし、雪斎は勝利を悟った。
「目上の恩義は恩で報いる。論語でなくとも分かる事でしょう。」
まるでこの場に居る建乗や武田家臣にではなく、晴信に言ってるみたいだ。
これ以降、和睦交渉は完全に小笠原ペースに運んでしまったのだ。
この後の会談の結果、雪斎の出した十の項目の中で、削除されたのは『旧高遠領の信濃守護権回復』の半項目だけであった。
その代わり、建乗は藤沢権次郎の人質(藤沢頼親の武田・小笠原の二重家臣化)を認めさせた。
こうして武田が取った条件は、福与城の破棄と頼継裁判の権利と、権次郎の人質の三項目だけとなったのだ。
和睦交渉戦、結果は武田の三勝九敗一分。これでも精一杯であった。
諏訪頼継たった一人の為に、ここまで敵に条件を譲らざるを得なかったという事になる。
頼継という男は、小笠原家にとってそこまで意義の重たい人物だったのだ。
晴信も勘助も、武田家中の誰もが始めて実感させられた。そして和睦が完全に成立したのは、翌十日であった。
| ●●● お知らせ |
|
物語を読む上で、結構重要なベースになりますので、是非ご一見ください! |
2008年07月05日
品第670:無茶を言う(14章6節「交渉対決、雪斎対建乗」5)
これで再び交渉は長引き、建乗ら武田家臣も思わぬ奇襲を受けた気分になって、休憩を申し入れた。
信方・虎泰・昌俊、皆の顔が渋い。
「どうする?」
「呑める条件といえば、草間備前の引渡しくらいじゃ…。」
「それだって無条件じゃぞ。金とかの取引ではないのじゃ。」
「これでは、まるで武田は小笠原の傀儡じゃ!」
「雪斎も、無茶を言う。」
皆が建乗に注目する。
「確かに、師匠の申す事に無理が大きい。」
とはいえ、建乗は何故あの雪斎が無理難題な理由を言うのであろうと、不思議に感じていた。
建乗にとって、雪斎と何百回も問答して初めての体験であり、矛盾でもあったからだ。
「小笠原は、過去のいざこざを引きずって交渉の場にに出しています。これでは外交的にも、僧侶としてでも不適切です!」
そして、建乗は論戦を決意した。
「皆様のおっしゃる通り、草間殿の件は譲りましょう。伊那の守護権は認め、高遠の守護権は武田の者として割りましょう。」
始めはこの二項目を武田寄りに引っ張ってから、次々と向こうの項目を潰していくべきだ、そう建乗は考えた。
小笠原の休憩室。家臣達は雪斎の出した条件が自分達に有利に運んだと喜ぶが、やはり長時にも知らされてない条件があるために、不安もある。
神田将堅がそれを雪斎に問いただすが、雪斎は一言で片付けた。
「それが長時様にとって不満なら、拙僧が腹を斬れば済むだけの話です。」
そう余裕いっぱいに高笑いした。
定政は、やはり責任問題と解釈している。
「いや、我等だって責任は出てくる!」
しかし、雪斎は首を横に振る。
「拙僧の一存で出したのです。あなた方に責任はありません。」
「確かに、前の休憩ではそういう意見調整はしてませんが、しかし…。」
「ま、乗ってしまった舟ですから、この船頭にお任せ下さい。あなた方は怒られるどころか、褒美すら期待したほうがよろしいですぞ。」
雪斎の笑いは止まらない。
武田側はまんまと、この十の条件に躍起になってしまったのだ。こうなれば雪斎のペースだ。たとえ善得寺を一任させられる程優秀な建乗でさえも、この蜘蛛の巣からは絶対に出られない。
そう確信した雪斎であった。
交渉は昼に再開された。建乗から突きかかる。雪斎にとっては予想通りだ。
「その二つですか、分かりました。」
雪斎は、又簡単に認めてしまったのだ。
信方・虎泰・昌俊、皆の顔が渋い。
「どうする?」
「呑める条件といえば、草間備前の引渡しくらいじゃ…。」
「それだって無条件じゃぞ。金とかの取引ではないのじゃ。」
「これでは、まるで武田は小笠原の傀儡じゃ!」
「雪斎も、無茶を言う。」
皆が建乗に注目する。
「確かに、師匠の申す事に無理が大きい。」
とはいえ、建乗は何故あの雪斎が無理難題な理由を言うのであろうと、不思議に感じていた。
建乗にとって、雪斎と何百回も問答して初めての体験であり、矛盾でもあったからだ。
「小笠原は、過去のいざこざを引きずって交渉の場にに出しています。これでは外交的にも、僧侶としてでも不適切です!」
そして、建乗は論戦を決意した。
「皆様のおっしゃる通り、草間殿の件は譲りましょう。伊那の守護権は認め、高遠の守護権は武田の者として割りましょう。」
始めはこの二項目を武田寄りに引っ張ってから、次々と向こうの項目を潰していくべきだ、そう建乗は考えた。
小笠原の休憩室。家臣達は雪斎の出した条件が自分達に有利に運んだと喜ぶが、やはり長時にも知らされてない条件があるために、不安もある。
神田将堅がそれを雪斎に問いただすが、雪斎は一言で片付けた。
「それが長時様にとって不満なら、拙僧が腹を斬れば済むだけの話です。」
そう余裕いっぱいに高笑いした。
定政は、やはり責任問題と解釈している。
「いや、我等だって責任は出てくる!」
しかし、雪斎は首を横に振る。
「拙僧の一存で出したのです。あなた方に責任はありません。」
「確かに、前の休憩ではそういう意見調整はしてませんが、しかし…。」
「ま、乗ってしまった舟ですから、この船頭にお任せ下さい。あなた方は怒られるどころか、褒美すら期待したほうがよろしいですぞ。」
雪斎の笑いは止まらない。
武田側はまんまと、この十の条件に躍起になってしまったのだ。こうなれば雪斎のペースだ。たとえ善得寺を一任させられる程優秀な建乗でさえも、この蜘蛛の巣からは絶対に出られない。
そう確信した雪斎であった。
交渉は昼に再開された。建乗から突きかかる。雪斎にとっては予想通りだ。
「その二つですか、分かりました。」
雪斎は、又簡単に認めてしまったのだ。
2008年07月04日
品第669:十あって一(14章6節「交渉対決、雪斎対建乗」4)
交渉は予想通り、諏訪頼継の引渡しについて、小笠原か武田かどちらが引き取るかの交渉に入った。
これに建乗は、
「これは譲れません。」
そう雪斎に向かって厳しい眼差しで窺う。
しかし、雪斎は一言。
「どうぞ。」
と潔く返した。
これには武田側は驚いた。和睦交渉で最も対立する場面だ。喧嘩も持さない覚悟はあった。誰もがそう想定した。
しかしこれは、あまりにもあっさりと拍子抜けにされたのだ。
そしてそんな武田の仰天ぶりは、小笠原でも同じだった。いや、むしろこちら側の仰天ぶりがすざましかった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくだされ、雪斎殿!」
と定政が強引に中断するほどであった。
しかし、雪斎は聞かない。
それどころか、雪斎の反撃が建乗に向けて開始された。
「さて、諏訪頼継は武田殿におまかせするとして、こちらにも当然見返りがありまして…。」
と雪斎は口上で条件を出した。それは次のとおりだ。
一 草間備前守の無条件引渡しと、荒神山砦での捕虜の無償返却および謝罪。
一 福与城の高遠関係者以外の、藤沢頼親はじめ全家臣団の引渡し。
一 藤沢領の小笠原領への承認。
一 旧高遠領の龍ヶ崎城の小笠原領有化。
一 旧高遠領・藤沢領の小笠原領有化と信濃守護権介入の無条件承認。
一 金沢金山の共同開発。
一 諏訪頼継の信濃守撤回を、誓紙で小笠原長時に提出させる。
一 頼継裁判での、詳細報告と奉行の派遣。
一 小笠原家との軍事協定締結。信濃での軍事行動では、武田は小笠原の指揮下に入り、甲斐での軍事行動では、小笠原派武田の指揮下に入る。
一 以下の軍事協定に、木曽家は一切対象外とする。
以上の十項目を全部認めさせる事を、雪斎は建乗に突きつけたのだ。
当然建乗は怒る。
「よ、頼継殿一つに、用件十倍ですか…!」
呑める訳ない、当然である。だから建乗は跳ね返した。
しかし、雪斎は強気である。
「諏訪頼継殿が信濃守を名乗った事で、小笠原家に対して、これだけの迷惑を長年に渡ってこうむったのです。認めてねば、栄えある小笠原家の『歴史』に申し訳が立ちません。」
頼継一人に対して、この十項目が認められて初めて吊り合うのだと、雪斎は主張したのだ。
これには、雪斎の後ろに座る小笠原重臣達も、思わず納得してしまう。
(成程、我が小笠原主導で武田に頼継の裁判をさせる気か!)
(つまり、小笠原が武田を操る、か…。)
そう思うと、なんだか心地よくなる。しかし、頼継本人の捕縛を武田に任せたから、そこでもし長時が激怒しないかが不安だ。
これに建乗は、
「これは譲れません。」
そう雪斎に向かって厳しい眼差しで窺う。
しかし、雪斎は一言。
「どうぞ。」
と潔く返した。
これには武田側は驚いた。和睦交渉で最も対立する場面だ。喧嘩も持さない覚悟はあった。誰もがそう想定した。
しかしこれは、あまりにもあっさりと拍子抜けにされたのだ。
そしてそんな武田の仰天ぶりは、小笠原でも同じだった。いや、むしろこちら側の仰天ぶりがすざましかった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくだされ、雪斎殿!」
と定政が強引に中断するほどであった。
しかし、雪斎は聞かない。
それどころか、雪斎の反撃が建乗に向けて開始された。
「さて、諏訪頼継は武田殿におまかせするとして、こちらにも当然見返りがありまして…。」
と雪斎は口上で条件を出した。それは次のとおりだ。
一 草間備前守の無条件引渡しと、荒神山砦での捕虜の無償返却および謝罪。
一 福与城の高遠関係者以外の、藤沢頼親はじめ全家臣団の引渡し。
一 藤沢領の小笠原領への承認。
一 旧高遠領の龍ヶ崎城の小笠原領有化。
一 旧高遠領・藤沢領の小笠原領有化と信濃守護権介入の無条件承認。
一 金沢金山の共同開発。
一 諏訪頼継の信濃守撤回を、誓紙で小笠原長時に提出させる。
一 頼継裁判での、詳細報告と奉行の派遣。
一 小笠原家との軍事協定締結。信濃での軍事行動では、武田は小笠原の指揮下に入り、甲斐での軍事行動では、小笠原派武田の指揮下に入る。
一 以下の軍事協定に、木曽家は一切対象外とする。
以上の十項目を全部認めさせる事を、雪斎は建乗に突きつけたのだ。
当然建乗は怒る。
「よ、頼継殿一つに、用件十倍ですか…!」
呑める訳ない、当然である。だから建乗は跳ね返した。
しかし、雪斎は強気である。
「諏訪頼継殿が信濃守を名乗った事で、小笠原家に対して、これだけの迷惑を長年に渡ってこうむったのです。認めてねば、栄えある小笠原家の『歴史』に申し訳が立ちません。」
頼継一人に対して、この十項目が認められて初めて吊り合うのだと、雪斎は主張したのだ。
これには、雪斎の後ろに座る小笠原重臣達も、思わず納得してしまう。
(成程、我が小笠原主導で武田に頼継の裁判をさせる気か!)
(つまり、小笠原が武田を操る、か…。)
そう思うと、なんだか心地よくなる。しかし、頼継本人の捕縛を武田に任せたから、そこでもし長時が激怒しないかが不安だ。
品第668:諏訪頼継を武田に(14章6節「交渉対決、雪斎対建乗」3)
勘助は、大泉上総を連れて晴信の下にやってきた。そして上総は先ほど勘助に言った事を、晴信にも伝えた。
晴信は上総の主張を了解し、敵でもそれなりの誠意を持って福与城に帰した。
「山本勘助、そちが直接行って、建乗殿にお伝え申せ。」
「ははっ!」
勘助は、馬を走らせた。
第二回目の交渉は、予想通り長引いた。
雪斎も建乗も、押しつ押されつの大論戦で一歩も引かないのだ。
そこには師匠と弟子の関係も、互いに今川家の看板を背負った高僧のプライドも、ひとかけらも見られなかった。
それはまさに小笠原家の雪斎と、武田家の建乗であった。
この時の交渉で、福与城の破棄は認められた。そして藤沢領の信濃守護権も認められた。つまり藤沢家は独立系国人から小笠原家家臣団に組み込まれる事とり、藤沢領も全部長時が預かることとなる事になる。
しかしそれでは武田が面白くない。活躍した味方に恩賞が与えられないからだ。
だから藤沢頼親の処遇と、藤沢領の土地の分配問題で、互いに一歩も引かなくなる。
そして、そのまま夜になり、交渉は翌日に回された。
そこで勘助が到着し、頼継本人の意思を建乗に伝えた。
「ま、そうでしょうね。」
実に建乗も、その周りに居た板垣らも予想通りの事であった。
「これで我等が有利になれるぞ!」
虎泰が喜ぶ。昌俊も安堵する。
(これで良い。殿も生き残れる!)
勘助も、皆がこれで交渉も有利うに働けるという表情を見て、安心した。
「これは諏訪頼継様本人の意思です。我等がこれを尊重すれば、交渉でも勝てます!」
勘助は思わず叫んだ。昌俊も同調した。
「高遠を治めるならば、絶対に頼継様は必要です。」
昌俊の意見に、勘助も好意的だ。
「敵とはいえ、領民には好意的な頼継です。反省の意があれば諏訪家を取り込んだ武田です。認めても良いのでは?」
信方は消極的だが、この場の混乱を避けたいため、とりあえず意見をあわせる。
「そうじゃな。支配を一からやり直すのは、新しき伊那郡代殿も面倒じゃろう…。」
筆頭家老の信方の態度で、家中の主だった重臣達も頼継を迎える心構えは出来た。
建乗も、それを基本に攻めていこうと固めた。死が確実になる小笠原より、反省次第で運命が決まる武田なのだ。
「悪人でも念仏を唱えると極楽に行けるという宗派もあります。要はそれと似たような物ですな。」
いわば、これが建乗の雪斎攻略であった。
こうして、翌九日の交渉に入る。この日の交渉前に勘助は、馬を走らせて自陣に戻ったが、交渉の場ではとんでもない出来事が起こる事になる。
晴信は上総の主張を了解し、敵でもそれなりの誠意を持って福与城に帰した。
「山本勘助、そちが直接行って、建乗殿にお伝え申せ。」
「ははっ!」
勘助は、馬を走らせた。
第二回目の交渉は、予想通り長引いた。
雪斎も建乗も、押しつ押されつの大論戦で一歩も引かないのだ。
そこには師匠と弟子の関係も、互いに今川家の看板を背負った高僧のプライドも、ひとかけらも見られなかった。
それはまさに小笠原家の雪斎と、武田家の建乗であった。
この時の交渉で、福与城の破棄は認められた。そして藤沢領の信濃守護権も認められた。つまり藤沢家は独立系国人から小笠原家家臣団に組み込まれる事とり、藤沢領も全部長時が預かることとなる事になる。
しかしそれでは武田が面白くない。活躍した味方に恩賞が与えられないからだ。
だから藤沢頼親の処遇と、藤沢領の土地の分配問題で、互いに一歩も引かなくなる。
そして、そのまま夜になり、交渉は翌日に回された。
そこで勘助が到着し、頼継本人の意思を建乗に伝えた。
「ま、そうでしょうね。」
実に建乗も、その周りに居た板垣らも予想通りの事であった。
「これで我等が有利になれるぞ!」
虎泰が喜ぶ。昌俊も安堵する。
(これで良い。殿も生き残れる!)
勘助も、皆がこれで交渉も有利うに働けるという表情を見て、安心した。
「これは諏訪頼継様本人の意思です。我等がこれを尊重すれば、交渉でも勝てます!」
勘助は思わず叫んだ。昌俊も同調した。
「高遠を治めるならば、絶対に頼継様は必要です。」
昌俊の意見に、勘助も好意的だ。
「敵とはいえ、領民には好意的な頼継です。反省の意があれば諏訪家を取り込んだ武田です。認めても良いのでは?」
信方は消極的だが、この場の混乱を避けたいため、とりあえず意見をあわせる。
「そうじゃな。支配を一からやり直すのは、新しき伊那郡代殿も面倒じゃろう…。」
筆頭家老の信方の態度で、家中の主だった重臣達も頼継を迎える心構えは出来た。
建乗も、それを基本に攻めていこうと固めた。死が確実になる小笠原より、反省次第で運命が決まる武田なのだ。
「悪人でも念仏を唱えると極楽に行けるという宗派もあります。要はそれと似たような物ですな。」
いわば、これが建乗の雪斎攻略であった。
こうして、翌九日の交渉に入る。この日の交渉前に勘助は、馬を走らせて自陣に戻ったが、交渉の場ではとんでもない出来事が起こる事になる。
2008年07月03日
品第667:頼継の意思(14章6節「交渉対決、雪斎対建乗」2)
雪斎は、将堅の疑問に否定する。
「いいえ。藤沢家を守るのなら、自立した国人でいるよりも、長時様の家中に入ってもらったほうが良い、そう言ってるのです。」
これは、小笠原サイドとしては願っても無い条件である。
そのほうが扱いやすいし、頼継の件でも長時の命令に否定も出来なくなる。
だから基本的に、反対を論じるものはいなかった。特に定政が賛成した。
「確かにそれは、兄上(小笠原長棟)が本来望んでいた形です。」
これなら、父越えに一生懸命な甥の長時も納得する。雪斎の巧みな戦略だ。
「あとは土地の問題ですな。」
こういう事を、統治者である藤沢頼親のいない場所で行われている。
当の福与城では、この詳細は何も伝わっていないのだ。
頼親は主だった家臣を本郭に呼んで、対策を練る。
「…が、こうも和睦の内容が伝わらないと、策の講じようもない。」
頼親は嘆く。それでも確実に突きつけてくる条件は、諏訪頼継を武田・小笠原、どちらに引き渡すかである。
これには頼継が立って答えた。
「某は、武田にならば甲府に参る覚悟はある。じゃが小笠原なら、この場で自害するぞ!」
決意を始めて口にした。これに頼親は、
「何故じゃ?」
と尋ねる。頼継は答える。
「生き残るため!」
「そなたの夢は?諏訪郡を治めたいという、先祖代々の夢は、お前に託されたのじゃろう。」
「分かってる。生きている限り、日の目は必ずある!」
「…確かに、武田に下った諏訪や高遠の者には、頼継殿を慕う者は多いが、そなたもいい年じゃ。大丈夫か?」
頼継の決意は分かった。しかし、問題は頼継の意思をどうやって和睦の場に伝えるかである。
武田は頼継の気持ちを知っているのか。停戦の間、武田の使者も来ない。ならばこちらから参るしかない。
雪斎と建乗の第二回目の交渉が始まった時に、先陣を勤める勘助の下に、藤沢頼親の使者の大泉上総が来た。
勘助は、早速面会する。
「某が山本勘助じゃが、いかがしたかな?」
「福与城におられる諏訪頼継様の意思を、そちらに伝えるために参りました。」
「して?」
「頼継様は、武田になら下る意思はあるが、小笠原に行くなら、自害して果てると!」
「ふむ…。」
「これを、武田晴信様ならびに和睦交渉に応じている方に伝えていただきたい。」
「分かり申した。必ず伝えましょう。」
勘助は、快く引き受けた。
「いいえ。藤沢家を守るのなら、自立した国人でいるよりも、長時様の家中に入ってもらったほうが良い、そう言ってるのです。」
これは、小笠原サイドとしては願っても無い条件である。
そのほうが扱いやすいし、頼継の件でも長時の命令に否定も出来なくなる。
だから基本的に、反対を論じるものはいなかった。特に定政が賛成した。
「確かにそれは、兄上(小笠原長棟)が本来望んでいた形です。」
これなら、父越えに一生懸命な甥の長時も納得する。雪斎の巧みな戦略だ。
「あとは土地の問題ですな。」
こういう事を、統治者である藤沢頼親のいない場所で行われている。
当の福与城では、この詳細は何も伝わっていないのだ。
頼親は主だった家臣を本郭に呼んで、対策を練る。
「…が、こうも和睦の内容が伝わらないと、策の講じようもない。」
頼親は嘆く。それでも確実に突きつけてくる条件は、諏訪頼継を武田・小笠原、どちらに引き渡すかである。
これには頼継が立って答えた。
「某は、武田にならば甲府に参る覚悟はある。じゃが小笠原なら、この場で自害するぞ!」
決意を始めて口にした。これに頼親は、
「何故じゃ?」
と尋ねる。頼継は答える。
「生き残るため!」
「そなたの夢は?諏訪郡を治めたいという、先祖代々の夢は、お前に託されたのじゃろう。」
「分かってる。生きている限り、日の目は必ずある!」
「…確かに、武田に下った諏訪や高遠の者には、頼継殿を慕う者は多いが、そなたもいい年じゃ。大丈夫か?」
頼継の決意は分かった。しかし、問題は頼継の意思をどうやって和睦の場に伝えるかである。
武田は頼継の気持ちを知っているのか。停戦の間、武田の使者も来ない。ならばこちらから参るしかない。
雪斎と建乗の第二回目の交渉が始まった時に、先陣を勤める勘助の下に、藤沢頼親の使者の大泉上総が来た。
勘助は、早速面会する。
「某が山本勘助じゃが、いかがしたかな?」
「福与城におられる諏訪頼継様の意思を、そちらに伝えるために参りました。」
「して?」
「頼継様は、武田になら下る意思はあるが、小笠原に行くなら、自害して果てると!」
「ふむ…。」
「これを、武田晴信様ならびに和睦交渉に応じている方に伝えていただきたい。」
「分かり申した。必ず伝えましょう。」
勘助は、快く引き受けた。
品第666:交渉対決、雪斎対建乗(14章6節「交渉対決、雪斎対建乗」1)
武田家全権の建乗と小笠原家全権の雪斎の和睦交渉は、六月八日、場所を改めて龍ヶ崎城近くの小さな寺で行われた。
建乗の後ろには、板垣信方・小山田信有・保科昌俊が列席し、雪斎の後ろには二木豊後守・神田将堅・小笠原定政が同席する。
雪斎を見た建乗は、思わず苦笑いをする。
「これはこれは…。」
雪斎も同じだ。
「しばらく善得寺を空けて、済まないのう。」
「これが三河に居続けた結果ですか?」
「フフフ…。」
「ならば、この建乗も本気を出さなければなりませんな。」
「では、始めますか。」
会合は本殿で始まった。
最初は双方の後ろに控える重臣たちも意見をぶちまけていたが、次第に雪斎と建乗の論法合戦に移る。
外交だけの話に、仏法から禅問答、中国古来の引用まで当たり前のように飛び出るので、彼等の着いて行けない世界を、二人が作ってしまったのだ。
特に、そういう学の無い信方はキョトンとするばかりだし、軍学と弓術にばかりに優れた神田も目が点になって、放心している。
恐らく学識の高い晴信や長時がこの場にいても、唖然とするレベルの高い論争を見ることであろう。
そして一刻(約二時間)ほど経ち、第一回目の休憩が入る。
それぞれが用意された休憩の間に入り、武田側の建乗は、第二回目の会合についての戦略を、信方に求める。
「挨拶はあの程度で良しとして、次は藤沢家の処遇です。」
先ず最低限確保すべき条件は何かを尋ね、信方が答えた。
「藤沢に対して、いの一番にすべきは、福与城の破棄です。落城出来ないのなら、こうでもしないと、我等がここまで来た意味を失います。」
「分かりました。向こうは必ず上伊那の守護件は保持したいでしょうから、残るは土地問題と人質ですね。」
藤沢氏の土地は、頼親がそのまま確保するか、武田が取るか、小笠原が取るか、この三者が考えられる。
これに信方は、
「無論、我等の土地として交渉すべし!」
そう強気に建乗に求めた。
「分かりました。」
建乗は表面上では快く了解したが、本心では難しいと感じていた。
小笠原家の休憩所では、雪斎も同じ対策を小笠原家中と、意見を合わせるために会合する。
「武田殿としては、福与城の落城を結果として残したいはずです。もし破棄を求めれば、それは認めましょう。」
これに神田将堅が渋って責めた。
「我等の大事な友好国の藤沢家を、和尚は滅ぼすとでも言いたいのですか!」
建乗の後ろには、板垣信方・小山田信有・保科昌俊が列席し、雪斎の後ろには二木豊後守・神田将堅・小笠原定政が同席する。
雪斎を見た建乗は、思わず苦笑いをする。
「これはこれは…。」
雪斎も同じだ。
「しばらく善得寺を空けて、済まないのう。」
「これが三河に居続けた結果ですか?」
「フフフ…。」
「ならば、この建乗も本気を出さなければなりませんな。」
「では、始めますか。」
会合は本殿で始まった。
最初は双方の後ろに控える重臣たちも意見をぶちまけていたが、次第に雪斎と建乗の論法合戦に移る。
外交だけの話に、仏法から禅問答、中国古来の引用まで当たり前のように飛び出るので、彼等の着いて行けない世界を、二人が作ってしまったのだ。
特に、そういう学の無い信方はキョトンとするばかりだし、軍学と弓術にばかりに優れた神田も目が点になって、放心している。
恐らく学識の高い晴信や長時がこの場にいても、唖然とするレベルの高い論争を見ることであろう。
そして一刻(約二時間)ほど経ち、第一回目の休憩が入る。
それぞれが用意された休憩の間に入り、武田側の建乗は、第二回目の会合についての戦略を、信方に求める。
「挨拶はあの程度で良しとして、次は藤沢家の処遇です。」
先ず最低限確保すべき条件は何かを尋ね、信方が答えた。
「藤沢に対して、いの一番にすべきは、福与城の破棄です。落城出来ないのなら、こうでもしないと、我等がここまで来た意味を失います。」
「分かりました。向こうは必ず上伊那の守護件は保持したいでしょうから、残るは土地問題と人質ですね。」
藤沢氏の土地は、頼親がそのまま確保するか、武田が取るか、小笠原が取るか、この三者が考えられる。
これに信方は、
「無論、我等の土地として交渉すべし!」
そう強気に建乗に求めた。
「分かりました。」
建乗は表面上では快く了解したが、本心では難しいと感じていた。
小笠原家の休憩所では、雪斎も同じ対策を小笠原家中と、意見を合わせるために会合する。
「武田殿としては、福与城の落城を結果として残したいはずです。もし破棄を求めれば、それは認めましょう。」
これに神田将堅が渋って責めた。
「我等の大事な友好国の藤沢家を、和尚は滅ぼすとでも言いたいのですか!」
2008年07月02日
品第665:小笠原長時使者、太原崇孚雪斎(14章5節「和睦へ」6)
六月七日、小笠原長時の下に戻った二木豊後は、木曽は援軍を出せないが今川が協力するとの情報を伝えた。
しかし、長時は不機嫌だ。
「何が今川じゃ。今その和睦で敵の弁護をしてるのが、あの善得寺の建乗じゃぞ!」
しかし、二木豊後はニヤリとして、長時に吉報を出す。
「それならと、我が方にも取って置きの大者が、この和睦を買って出ると連れて来ました。」
「フン、誰じゃ?まさか雪斎坊主だなんて、冗談言うのではないだろうな!」
「えっ、いや、その…。」
これに豊後は言葉を詰まらせた。
しかし、その豊後がここに連れて来て、本陣の入口に待機させていた使者が、いきなり本陣に入ってきた。
「拙僧では駄目ですかな?」
いかにも高僧らしいその坊主は、雪斎であった。これには長時はじめ、本陣に居合わせた誰もが、目を疑うくらいに驚いた。
雪斎が長時に一礼した。
「善得寺並びに臨済寺住持、太原崇孚雪斎にございます。この度は、小笠原大膳太夫長時様について、武田晴信殿との和睦交渉をしたく参りました。」
長時はあまりにも驚いたので、開いた口をふせげすにしばらく何も喋れなかったが、なんとか落ち着きを取り戻して会話を始めた。
「ど、どうして貴方が!」
雪斎と武田との関係が深いというのは、長時もよく知っているし、それだけ有名なことだ。だから仰天するのだ。
雪斎は理由を述べる。
「南伊那に臨済宗を布教し始めて三年経ち、そろそろ長時様のおられる信濃府中にも、臨済の教えを広めたく思いまして…。」
なんとも社交事例丸出しの理由である。しかし礼儀上に問題は無い。
「拙僧なら、武田殿をこの伊那から退ける事が出来ます。」
「じゃ、じゃが、向こうの使者はそなたの一番弟子じゃ。まさか二人で計ってないじゃろうな?」
「拙僧は、駿府より東の事は、ここ数年手を出していません。全て建乗殿に任せてありますが、今の今川家は、相模の敵よりも三河と尾張の敵の討伐に力を入れています。」
「東の建乗と、西の雪斎殿、意見が合わないとでも?」
「これでも私は、建乗の師匠ですぞ。」
師匠か。なら二人が交渉すれば、どちらが有利になれるかは明らかである。
長時はそこに賭けてみた。
「うん、良いではないか。和睦が成功すれば布教も認めよう。木曽義康にも今川殿に協力するようにと伝えよう。」
「有難き幸せでございます。」
こうして、長時は和睦の全権をこの雪斎に任せたのである。
しかし、長時は不機嫌だ。
「何が今川じゃ。今その和睦で敵の弁護をしてるのが、あの善得寺の建乗じゃぞ!」
しかし、二木豊後はニヤリとして、長時に吉報を出す。
「それならと、我が方にも取って置きの大者が、この和睦を買って出ると連れて来ました。」
「フン、誰じゃ?まさか雪斎坊主だなんて、冗談言うのではないだろうな!」
「えっ、いや、その…。」
これに豊後は言葉を詰まらせた。
しかし、その豊後がここに連れて来て、本陣の入口に待機させていた使者が、いきなり本陣に入ってきた。
「拙僧では駄目ですかな?」
いかにも高僧らしいその坊主は、雪斎であった。これには長時はじめ、本陣に居合わせた誰もが、目を疑うくらいに驚いた。
雪斎が長時に一礼した。
「善得寺並びに臨済寺住持、太原崇孚雪斎にございます。この度は、小笠原大膳太夫長時様について、武田晴信殿との和睦交渉をしたく参りました。」
長時はあまりにも驚いたので、開いた口をふせげすにしばらく何も喋れなかったが、なんとか落ち着きを取り戻して会話を始めた。
「ど、どうして貴方が!」
雪斎と武田との関係が深いというのは、長時もよく知っているし、それだけ有名なことだ。だから仰天するのだ。
雪斎は理由を述べる。
「南伊那に臨済宗を布教し始めて三年経ち、そろそろ長時様のおられる信濃府中にも、臨済の教えを広めたく思いまして…。」
なんとも社交事例丸出しの理由である。しかし礼儀上に問題は無い。
「拙僧なら、武田殿をこの伊那から退ける事が出来ます。」
「じゃ、じゃが、向こうの使者はそなたの一番弟子じゃ。まさか二人で計ってないじゃろうな?」
「拙僧は、駿府より東の事は、ここ数年手を出していません。全て建乗殿に任せてありますが、今の今川家は、相模の敵よりも三河と尾張の敵の討伐に力を入れています。」
「東の建乗と、西の雪斎殿、意見が合わないとでも?」
「これでも私は、建乗の師匠ですぞ。」
師匠か。なら二人が交渉すれば、どちらが有利になれるかは明らかである。
長時はそこに賭けてみた。
「うん、良いではないか。和睦が成功すれば布教も認めよう。木曽義康にも今川殿に協力するようにと伝えよう。」
「有難き幸せでございます。」
こうして、長時は和睦の全権をこの雪斎に任せたのである。

久良岐 満

